西岡利晃さんは、日本が誇るボクシングの至宝である。
西岡さんが残した功績は、とてつもなく大きい。
ところがその大きさとは裏腹に、あまり世間一般に知られていない。
ボクシングの熱心なファンにしてみれば、とても残念である。
西岡さんの歩んだ道は、苦難の連続だった。
若くして天才と謳われていたが、世界を前にして足踏みが続いてしまう。
西岡さんは、世界挑戦に4度失敗をした。対戦はすべてタイのウィラポンだった。
辰吉を完膚なきまでに叩きのめした実力は、生半可なものではなかった。
ウィラポンの異常なまでの強さは、それほどまでに際立っていた。
普通であれば、何度も世界挑戦が認められるものではない。
ウィラポンとの対戦成績は2分2敗。普通に考えれば、もう引退だった。
周りはみんな「西岡はもう終わった」と思っていた。
しかし、西岡さんは決して諦めなかった。
そこからもう一度はい上がり、やがて世界チャンピオンになる。
そこから防衛を重ねて、名チャンピオンとして君臨していくのだ。
2度目の防衛戦で、ジョニー・ゴンザレスを左ストレート一発で
仕留めた試合は、西岡さんのキャリアの中で1番のKO試合である。
メキシコ人たちがひしめく完全アウェイの状況下で、
1発でジョニー・ゴンザレスを沈めた拳は「モンスターレフト」と恐れられた。
WBCはこの試合を年間ベストKO賞に認定した。
また7度目の防衛戦では、メキシコの強豪、ラファエル・マルケスと対戦。
ラスベガスで活躍するビッグネームとの試合で、完勝を果たした。
過去歴代の日本人ボクサーが戦った中でも、
ラファエル・マルケスは、最大級と言って良いほどの大物である。
戦前は厳しい戦いが予想されていたが、見事に勝利したのだ。
そしてラスベガスでノニト・ドネアとビッグマッチを行うのだから、
とてつもない偉業である。結果は惜しくも敗れてしまった。
この頃のドネアは軽量級最強と謳われていて、
誰も手を付けることができないほどの無双状態だった。
この時期に井上尚弥と対戦していたら、どんな結果が待っていただろうか?
ボクシングファンとしては、想像しただけでワクワクする。
西岡利晃さんのことを思うと、
もっと頑張らなければならないと自然と身が引き締まる。
天才が挫折を味わったときに、そこで折れてしまうのか、
もう一度前を向いて突き進むのか。そこに本当に強さが問われると思う。
才能だけで突き進んでいけば、必ずどこかで壁にぶち当たる。
西岡さんは類まれなるボクシングセンスで、若くして注目されていたが、
世界チャンピオンになる目前で、何度も跳ね返されてしまった。
普通であればあきらめてもおかしくない状況である。
ところがそこでもう一度、自分としっかりと向き合った。
もう一度世界の舞台に立つまでは、苦難の道のりだったように思う。
天才が脱皮を重ねて、本当に天才へと登りつめていく、
その過程を知ると胸が熱くなる。
西岡利晃さんが世界チャンピオンになったのは32歳のときだ。
自分はいま、その年齢とほぼ変わらない。
西岡さんのことを思うと、自分ももっと頑張ろうと思う。