ウインバリアシオンの競走馬人生は、果たして幸せだったのでしょうか?
何度走っても二番手となってしまう…、ファンとしてはそれがたまらなく愛おしかったりします。
オルフェーヴルがいなければ、一体どれほどのG1を獲得できていたのか…。
もしもを考えても仕方がないのですが…、時折そんなことを考えてしまうのです。
ウインバリアシオンが走っている先には常に、怪物オルフェーヴルがいました。
金色の立髪をなびかせて、とてつもない脚力で駆け抜ける怪物。
いくら必死に後を追っても、その差が縮まることはありません。
ウインバリアシオンは、生まれた時代を恨むしかななかったのでしょうか?
サラブレットは毎年およそ7000頭もの馬が生まれてきます。
その中で勝ち上がれる馬は、ごく一部に過ぎません。
未勝利のまま姿を消す馬は、山のようにいます。
彼らのその後の人生について、表立って語られることはほとんどありません。
サラブレットたちの競争は、熾烈極まるものです。
クラシックレースに出走できるというのは、とてつもないことではないでしょうか?
ましてオルフェーヴルのような怪物が生まれてくるのは、確率的にほとんど奇跡に近いです。
オルフェーヴルを目の当たりにしたというのは、それだけで歴史に立ち会えたようなものだと思います。
ウインバリアシオンの本当の気持ちは分からないけれど、一緒に走ったことを誇りに思っているのではないでしょうか?
オルフェーヴルに追いすがるウインバリアシオンを見ていると、目標とする者が前を走っているからこそ、力を発揮できたように感じます。
オルフェーヴルがいたことで自らを高めることができた、フェアな戦いに臨むアスリートのように、映ったりするのです。
競馬ファンからすれば、一頭だけ圧倒的に強い、というのは、面白みに欠けると思うのも事実です。
ディープインパクトが日本競馬史上の最強馬、というのは、多くの人が認めるところです。
一方でディープインパクトの世代があまり強くなかった、とも言えるのではないでしょうか?
ディープインパクトを唯一負かしたのはハーツクライですが、彼をライバルと呼んでいいものなのでしょうか?
一頭だけ突出しているのは、勝負の醍醐味に欠けていると感じたりもするのです。
語り継がれる名馬の裏には、必ずそれを支える馬がいると思います。
オルフェーヴルは今後、中央競馬の歴史において、長く語り継がれることになるでしょう。
しかしその横には、必ずウィンバリアシオンがいたのです。
決して主役にはなれないけれど、オルフェーヴルの好敵手として常に陰に潜んでいる…。
それこそウィンバリアシオンの魅力ではないでしょうか?
ウインバリアシオンは決して弱い馬でありません。
G1を掴むことはできませんでしたが、多くの重賞レースで好成績を収めました。
歴史をひも解けば、ナイスネイチャ、ロイスアンドロイス、ステイゴールド、メイショウドトウ、といった、勝てそうで勝てない馬はたくさんいます。
ウインバリアシオンも、ここに含めて良いのかもしれません。
ウインバリアシオンが、前を行くオルフェーヴルに追いすがる姿を見ていると思わず応援したくなります。
勝たなければ意味はないけれど、勝つことだけがすべてではない…。
ウインバリアシオンは、多くの人に勇気と希望を与えていると思います。
人は馬にいろんな思いを託して観戦していたりするのです。
人は、競馬にこうしたロマンを求めていたりするのではないでしょうか?