例えばあなたの身の回りには、こんな人がいたりしないでしょうか?
・商品をたくさん売ろうと値引きをしまくって、利益がほぼゼロになった
・節約しようと思い立ち、お金に関するセミナーに数十万円のお金を注ぎ込んだ
・資格の勉強にのめり込んでいたら、やがて勉強自体が快感になってきた
これらはすべて「木を見て森を見ず」に当てはまる事例と言えると思います。
多くの人は知らないうちに「木を見て森を見ず」に陥っていたりします。
端から見れば「もっと広い視野で見たらいい」と言いたくなってくるのですが…。
いざ自分に振り向けてみると、全然できていないことが多かったりします。
これらを回避するためには、何に気を付ければ良いのでしょうか?
目次
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「木を見て森を見ず」の意味について
「木を見て森を見ず」という言葉の意味は、以下のようなものとなります。
本来の目的はもっと先にあるのに、全然別のところで足をすくわれている…。
目先のことに頭がいっぱいで、より大きいところまで頭が回っていない…。
「木を見て森を見ず」は、視覚的にイメージしやすい、使い勝手の良い言葉です。
しかし、それを自分で気付くのは、とてつもなく難しかったりします。
「木を見て森を見ず」の反対は?
「木を見て森を見ず」の反対は、「森を見て木を見ず」と言うことができます。
ただし、日常的にこういった言い方をすることは、ほとんどありません。
全体が見えて細部が見えないという状況は、あまりないからかもしれません。
ほかには「木を見て森も見る」や「森を見て木も見る」といった言葉があります。
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「木を見て森を見ず」はヨーロッパの言葉
「木を見て森を見ず」という言葉は、ヨーロッパでは昔から使われています。
ドイツ・イギリス・フランス・ロシアなどには、以下のようなことわざがあります。
・木はしばしば森を隠す
・木を見ているものは森をみることができない
小さいことと大きなこと…、その比較の意味で木と森を例として挙げています。
小さいものに焦点を合わせ過ぎると、大きなものが見えなくなってしまう…。
さまざまな国で使われているのは、それだけ根が深いと言えるのかもしれません。
わたしたち人類が抱える、普遍的な問題と言うことができるかもしれません。
「木を見て森を見ず」の類語について
「木を見て森を見ず」と似た言葉は、ほかにもさまざまなものがあります。
それぞれ微妙にニュアンスが違いますが、大枠では似ていると言えるかもしれません。
・手段の目的化
・金を掴むものは人を見ず
・人は分単位で時間を節約しながら年単位で時間を損している
「小を取って大を逃す」だったり、「目先の損得に目を奪われてしまう」だったり…。
改めて自分の行いを振り返ってみる、そういった戒めの言葉なのだと思います。
「木を見て森を見ず」に関する考察
「木を見て森を見ず」は、情報があれば、回避できると思うかもしれません。
ただ実際は、考え方とか思考の技術みたいな、もっと根本的なことなのだと思います。
だからいつまでも経っても無くならないし、これからも無くなることはありません。
世の中のあらゆる問題は、「木を見て森を見ず」という言葉で説明できます。
ただしそれは結果論であり、なかなか自分では気付くことはできません。
経営者は目先の利益を優先せず、長期的なスパンで物事を測っています。
アマゾンは長らく赤字を垂れ流していて、それでも投資の手を緩めませんでした。
数十年という長い年月の中で大きく実り、破格の成功を収めることができたのです。
アマゾンの場合、社長よりも投資家の方が「木を見て森を見ず」の状態でした。
投資家は配当の要求をしていて、利益を回すことばかりを求めていました。
会社経営というのは、未来を見据えた取り組みと言えるかもしれません。
ただし、これは頭では分かっていても、実際に行動するのは至難の業だと思います。
目先のことは損であっても、長い目で見れば得をするようになりたい…。
「木を見て森を見ず」から卒業する
どんな物事にも言えることですが、本質を見極めることが大事だと思います。
手段と目的が混在し、自分の目指している方向が分からなくなっていく…。
いろんな人の話を聞き、たくさんの本を読んで、さまざまな経験を積んでいく…。
謙虚に学ぶ姿勢があれば、きっと大きな森が見えるようになると思うのです。