ニュースの街頭インタビューを見ていると、ときどきこんな言葉を目にします。
「普通の生活が一番」「普通に生きられたらいい」
わたし個人の意見ですが、普通という言葉にはすごく違和感を覚えたりします。
普通という言葉は、おそらく一般的という意味で、使っているのだと思います。
でも普通というのは、時代や使う場所などによって、大きく変わってきます。
・100年前であれば、50代で亡くなることは普通でした。
・50年前であれば、20代で結婚して3人の子どもを持つのは普通でした。
・20年前であれば、折りたたみ携帯を持っているのが普通でした。
住む場所1つ取っても、田舎と都会では普通の感覚というのは大きく違います。
日本と韓国では、普通が通じる内容は、大きく異なってくるように思います。
普通の人生という言葉について、わたしの所感について綴ってみたいと思います。
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普通の人生という響きに違和感を覚える
普通の人生という言葉を聞くと、わたしはいつもツッコミを入れたくなります。
根底には「普通が良い」「普通が一番」という考えがあるような気がしています。
その一方で、ヤンチャとか破天荒をネタにするような言葉もたくさんあります。
芸能人がテレビでやっていることは、まさにそういったネタが多いと思います。
テレビやYouTubeなどは、ときにやりたい放題やっているように映ります。
普通という言葉を使う背景には、そういった言動に疲れているのかもしれません。
普通の人生には受身の姿勢を感じてしまう
これはわたしの感想ですが、普通の人生にはどこか受身の姿勢を感じてしまいます。
何かに熱中しているのであれば、普通なんて言葉を口にしないのではないでしょうか?
夢を必死に追いかけている人、前を向いてものすごく頑張っている人…。
わたしはどちらかと言えば、そういった姿勢に共感を覚えたりします。
普通なんてものはすべて吹き飛ばして、思い切った人生を歩んでいく…。
そんな感じで過ごしていけば、何かが変わってくるのではないでしょうか?
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普通志向になる心理について
普通の人生が良い!という裏には、ある種の疲れがあるのではないでしょうか?
これについては、わたしも少しだけ思い当たるフシがあります。
わたし自身、テレビを観ていて、かなり疲れを感じていた時期がありました。
尖っているアピールがいちいちウザい…、ツッコミ待ち状態が癪にさわる…。
なぜテレビでこんなことをやっているのか?まったく理解できませんでした。
世の中に閉塞感が漂っているときに、普通志向といったものが芽生えてくるのかもしれません。
世の中がものすごく不安定だから、その反動で安定を求めるのではないでしょうか?
テレビでもツイッターでも、さまざまなところで煽る言葉が蔓延しています。
そういう煽りに対して、多くの人はかなり嫌気が差しているのかもしれません。
普通の人生よりも自分の人生を送る!
いまは普通の人生を送ることさえも、すごく難しいのかもしれません。
一時期は、マイペースとか自分らしさ、なんて言葉が流行った時期もありました。
ただ社会が不安定なのか?と言うと、わたしは決してそんな風には思いません。
むしろ社会がすごく安定していて、煽りたがりの人がウズウズしているだけの気がしています…。
彼らの言葉に流されてしまった故に、心がザワザワしてしまうのではないでしょうか?
煽る言葉から逃れるもっとも良い方法は、情報を遮断することだと思います。
余計な情報があまりに多すぎるので、積極的に排除するくらいがちょうど良いです。
心の平穏を保つことができれば、自ずと前を向いて歩みたくなります。
普通の人生ではない、オリジナルな人生を歩むことができるように思います。
そういった人が1人でも増えれば、世の中はもっと楽しくなる気がするのです。
普通の人生なんて言わず、良い影響を与えあえる関係性を築いていく…。
そんな繋がりが少しでも増えれば、もっと人生が楽しくなるなんて思ったりします。