※<景品表示法に基づく表記>本サイトのコンテンツは商品プロモーションが含まれている場合があります。
仕事

「職業に貴賎なし」が意味すること!格差社会には絵空事かもしれない!

「職業に貴賎なし」という言葉を読み解いていくと、さまざまなことが考えられます。

ただ、現実に即して考えてみたときに、リアルに実感できることはほとんどありません。

「職業に貴賎なし」はあくまで建前の言葉であり、おおよそ現実的とは言えないものです。

格差社会と呼ばれる時代には、むしろ「キレイごと」にしか映らない言葉なのです。

 

職業差別はいまも昔も存在していて、わたしたちの社会の中で確実に根付いています。

理想論としてとても立派だと思いますが、現実はそんなに甘いものではありません。

実際に、リアルでこの言葉を使う場面というのは、ほとんどないのではないでしょうか?

実態のない理想論・精神論、みたいに言われても、ある意味で仕方がないように思います。

 

ただ、これが建前の言葉だとしても、この感覚はずっと持ち合わせていたいと思ったりします。

日本人が心の奥底に持っている、自由とか平等といった意識の発露なのではないでしょうか?

「職業に貴賎なし」は、ある意味では理想論とか上っ面の言葉なのかもしれません。

それでもなお「職業に貴賎なし」でありたいし、そうあって欲しい!そんな風に願わずにはいられないのです。

スポンサーリンク

賤職はいまも昔も等しく存在している

世界中どこの国を見渡しみても、格差というものは明確に存在しています。

世界と比較してみたときに、日本はむしろ格差の少ない社会、と言えるのかもしれません。

本来は仕事に優劣といったものはなく、どんな内容でも尊いものなのだと思います。

ただ格差社会の時代には、仕事に優劣があることは陽の目を見るより明らかです。

 

古くから奴隷労働といったものは、ごく当たり前のように存在していました。

それは現代もまったく変わっておらず、格差という違った形で体現しています。

格差社会と言われる現代において、それでもなお「職業に貴賎なし」と言えるでしょうか?

わたしにはさすがに、かなり無理があるのではないか?という風に感じたりするのです。

「職業に貴賎なし」が理想論に感じてしまう理由

アメリカでは、学校の先生が子どもを指導するときにこんな言葉をかけます。

「しっかり勉強しないと大学に行けなくなる。そうしたら一生、マクドナルドでハンバーグを焼き続けることになるぞ!」

職業差別とも受け取れるような発言ですが、多くの人はこの意図を理解することができると思います。

格差社会を生き抜くためにはしっかりと勉強して、ほかの人にはないスキルを身につけなければならない!

先生はそれを分かりやすく伝えるために、マクドナルドを引き合いに出しているのです。

 

これに対する意見としては、さまざまなものが挙げられるように思います。

身も蓋もないと言うこともできるし、分かりやすい教育だと言うこともできます。

誰が誰に向けて発しているのか?どういう意図で発しているのか?このあたりがポイントになるのかもしれません。

ただ、こういったやり取りは普通に行われていて、ますます「職業に貴賎なし」は理想論のように思えたりもするのです。

 

歴史をひも解いてみれば、身分制度や格差といったものは、明確に存在していました。

それはいまも変わらず続いていて、それを是正するというのは至難の業です。

こういった状況下でなお「職業に貴賎なし」と言うのは、さすがに無理があるように感じたりします。

現実に当てはめて考えてみたときに、かなり「お花畑な理想論」みたいに思えたりもするのです。

スポンサーリンク

「職業に貴賎なし」は現実味がかなり薄い

書店には「バカ」「アホ」といった言葉を使った、煽るような書籍はすごく多いです。

これから稼げる職業はこれだ!これからはAIの時代だから絶対に乗り遅れるな!

仕事によって給料が決まり、生活に大きな影響を及ぼすので、誰もが必死になって情報を集めます。

「職業に貴賎なし」どころか、現実には「多くの人は稼げる職業を目指している!」ように感じたりするのです。

 

「職業に貴賎なし」は格差社会において、現実に沿った言葉ではないと感じます。

「職業に貴賎なし」の精神を現実に当てはめて考えてみると、あまりに無理が多すぎるのです。

ただしこの言葉には、幅広く受け入れようとする寛容さがあるように思います。

たとえこれが100%建前の言葉であっても、尊重する空気は残っていて欲しいものです。

 

わたしはどんな仕事であっても、優劣なんてものはまったくない!と感じています。

病院の先生も、学校の先生も、警察官も、パティシエも、ビル清掃員も、YouTuberも、そこに貴賎はありません。

空虚な理想論なのかもしれませんが、こういった感覚はずっと持ち合わせていたい!

わたし自身、そんな風にして生きていきたい!なんて感じたりするのです。

「職業に貴賎なし」は精神論やマインドの話

結局のところ「職業に貴賎なし」は精神論であり、マインドに訴えかける言葉なのだと思います。

現実に当てはめて考えたみたときに、どう考えても無理なことがあまりに多すぎます。

ときどきふと立ち止まって考えてみたときに、昔の人の言葉でこんなものがあった!

「職業に貴賎なし」はそれくらいの意味合いで、ちょうど良いのではないでしょうか?

 

ちなみに、わたし個人の意見としては「職業に貴賎なし」という考え方はすごく好きです。

ただ現実の世界では、この言葉を使って、何かに当てはめて考えることはありません。

「職業に貴賎なし」なんて面と向かって言われたら「いや、絶対にあるでしょ!」と言いたくなります。

それでも、そういう考え方とかマインドは、ずっと残っていて欲しいと思ったりするのです。

職業に対する呪縛があるのかもしれない

「職業に貴賎なし」とは少し離れますが、職業に関してわたしが印象に残っている言葉あります。

わたしが学生時代に受けた現代文の問題で、こんな言葉を目にする機会がありました。

貧乏したけりゃ腕を磨け!

この言葉の由来を調べてみると、飛騨地方の匠の間で伝わっている言葉のようです。

腕がいいのに、いや、腕がいいからこそ、丁寧な仕事をしすぎて、いつまでも貧乏から抜け出すことができない…。

腕は良いけど商売がすごくヘタ、日本の職人にありがちな様子を端的に綴っています。

職人としての誇りやプライドが感じられて、わたしはすごく好きな言葉です…。

ただ、マーケティング力を磨いて適切なアプローチをすれば、解決する話ではあるのですが…。

 

職業に対する偏見や稼げないという思い込み…、根底にはこういったものがあるのかもしれません。

いままでの前例に従っているだけでは、なかなかこういった呪縛から逃れることはできません。

アプローチをほんの少し変えるだけで、うまくいく方法はいくらでもあるように思います。

職業に捉われるのではなく、既存のやり方をすべて徹底的にぶち壊していく!

そうやって新たな道を切り開いていきたい!なんて思ったりするのです。