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「職業に貴賎なし」が意味すること、格差社会には絵空事なのか?

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「職業に貴賎なし」は、建前の言葉だと思います。

職業差別は明確に存在していて、それはいまも昔も変わりありません。

世の中は、稼げる職業はこれだとか、これからはAIの時代だ、といった言葉であふれています。

さらに本屋に行けば、「バカ」とか「アホ」といった書籍が賑わせています。

「職業に貴賎なし」なんて言うと、何も考えていないバカ、と一蹴されてしまうでしょう。

そういった意味では「職業に貴賎なし」は、もはや死語なのかもしれません。

賤職いまも昔も等しく存在している

賤職がこの世から無くなることはありません。

古くは奴隷労働といったものが、ごく普通に存在していました。

いまは格差社会で、貧富の差がとても激しい社会です。

賤業に甘んじている人は、一定数必ずいるものなのです。

 

本来は仕事に優劣はなく、どんな内容でも尊いものだと思います。

しかし格差社会の現代においては、仕事に優劣があることは陽の目を見るより明らかです。

給与格差はますます開いていき、裕福な人と苦しい生活を強いられる人に分かれています。

これほどの格差社会で、なお「職業に貴賎なし」と言い切るのは、さすがに無理があります。

貴賤上下(きせんしょうか)のマインドについて

歴史をひも解いていくと、いつの時代も身分制度や格差といったものは、明確に存在していました。

少数の貴族や武士が、多くの農民を支配していたのは、紛れもない事実です。

 

アメリカでは、学校の先生が子どもを指導するときに平然とこんなことを言ったりします。

「しっかり勉強しないと大学に行けなくなる。そうしたら一生、マクドナルドでハンバーグを焼き続けることになるから」

職業差別とも受け取られかねない発言ですが、言わんとしていることは分かります。

格差社会を生き抜くためには、きちんと勉強しなければならなりません。

「職業に貴賎なし」に思うこと

「職業に貴賎なし」は建前であっても、通じなくなったら終わりだと思います。

日本人はまだ感覚的に、理解できる部分があると思うのです。

「職業に貴賎なし」という言葉には、幅広く受け入れようとする寛容さがあります。

格差社会においては、必ずしも現実的な考え方ではありません。

建前であっても、それを尊重する空気は残っていて欲しいものです。

 

逆にわたしが怖いと思うのは、「職業に貴賎なし」何それ?となってしまうことです。

「1ミリも理解できない」みたいな世の中になってしまったら、すごく残念だと思います。

バカとかアホ、といった類いの書籍が増えていくことによって、激しい言葉をぶつけて、相手を響かせるという手法ばかりが持てはやされています。

 

うわべだけの言葉でも良いし、それが建前だと分かっていても、わたしは「職業に貴賎なし」が感覚的に通じる社会であって欲しいと思います。

バカとかアホという書籍の論理で言えば、バカだと一蹴されそうですが、それでもわたしは「職業に貴賤はなし」と思って、生きていたいと思うのです。

「職業に貴賤なし」について、以下の本はおすすめです。



永六輔さんが書いた著作で、職業や生き方についてを記した本です。

あらすじ、内容紹介は以下のとおりです。

「職業に貴賤はないというけれど、生き方には貴賤がありますねェ」

モノを作る職人さんたちならではの、知恵に満ちた言葉の数々を軸に、

対談・インタビュー、そして講演録などで構成される紙上バラエティ。

引用:アマゾンのあらすじ・内容紹介より

アマゾンの口コミでは、ほぼ満点に近い高い評価となっています。

興味がありましたら、是非手に取ってください。