いつの時代も大人と若者の衝突はあって、これからもおそらくずっと続いていきます。
たいていは、大人の言うことは案外正しい、みたいなところに、落ち着くように思います。
(※あくまで個人的な意見です)
大人を立てた方が丸く収まる、謙虚な若者が好まれる、そういった空気があるのかもしれません。
わたしもどちらかと言えば、生意気な若者よりも落ち着いた大人側に与するタイプでした。
これは、わたしが会社員として働き、既存のレールを歩んでいくごく普通の平凡な人生…。
ずっとそういった生き方をしていたから、大人側の意見寄りだったのかもしれません。
その後、わたしは会社を辞めて、行き先が見えない、不安定な人生を歩み始めました。
いろんな若い人たちと接していくうちに、少しずつ見方が変わってくるようになりました。
いまの若者は本当に我慢が足りないのか?昔とそれほど変わりないのではないか?
大人が意見を押し通していることが、時代に合っておらず古すぎるのではないか?
大人の経験が正しいというよりも、若者の直感の方が正しいと感じる機会も増えてきました。
いまの若者は本当に我慢が足りないのでしょうか?わたしが感じたことを綴ってみます。
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大人によって優秀な若者が抑えつけてられている?
わたしがいろんな考えを改めるようになったのは、仕事を辞めたということが大きいです。
小売業という古くからある産業の人間から、ITの世界へと移っていったのですが…。
これは同じ日本なのか?というくらいに、まったくの異世界が広がっていました。
優秀な若者がものすごい活躍をしていて、まぶしいくらいの輝きを放っていたりします。
若者は下積みを重ねて我慢をするのが普通、どこかそんな考えがあったように思います。
わたし自身、特にそれを疑うこともなく、ごく当たり前のように受け入れていました。
ただし、下積みと言っても、大人が単に抑えつけているだけ、といった場合もあります。
若者が自由な発想で取り組んだ方が、予期せぬアイデアが生まれることもあるのです。
YouTubeやTikTokなどで台頭している人たちは、まさにその筆頭なのではないでしょうか?
理解のない大人たちは「単にSNSがうまいだけ」と言って、簡単に切り捨てるのかもしれません。
でも時代は確実に前に進んでいて、新しい技術にこそヒントが隠されていたりします。
大人は優秀な若者の芽を摘んでいる、実際に、そういったことも散見されたりするのです。
我慢の相対化によって見えてきたこと
ニュースでよく取り上げられる話題で、新卒で入った会社をすぐに辞める若者、があります。
社会人としての洗礼を浴びせる意味で、大人はさまざまなことを若者に言います。
・社会人になったのだからときには我慢も必要だ!
・サービスを受けるばかりではなく、提供するというのは大変なことなのだ!
これらはすごく正しいと思うことがある一方で、ときに息苦しさを覚えることもあります。
我慢にも大きく2種類あって、必要な我慢と必要ではない我慢があるように思います。
ひと昔前であれば、パワハラまがいのことも、我慢というひと括りで終わっていましたが…。
いまは必要ではない我慢に関して、どんどんとシビアになってきているのはないでしょうか?
これだけ多くのSNSが発達して、個人が気軽に発信することができる時代です。
自分が受けた理不尽さをSNSで拡散することで、それが世の中に知れ渡っていく…。
さまざまな意見が相対化されていき、行きすぎた大人の指導も明らかになっていく…。
教育とかマナーを盾に必要以上に深入りしていた、そんな側面も絶対にあると思います。
大人が加害者となっている事例は、けっこう頻繁にあるのではないか?と感じたりします。
たいていの場合、大人の方が論理的で説明がハッキリしていることが多いです。
一方で若者は、全体としてすごく感覚的で説明に不明瞭な部分が多かったりもします。
どちらか勝つかと言えば、改めて議論するまでもなく、絶対に大人側なのです。
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どこに身を置くかによって決まってくること
わたしは仕事を辞めてから、食に関わるバイトに従事していたことがあります。
またそれと同時並行で、スキマ時間にウーバーイーツで配達の仕事をしていました。
この2つのもっとも大きな違いとしては、古くからある産業か新しい産業か、ということです。
時給とか労働環境とか働き方の満足度など、自分の中でいろんな比較をしたのですが…。
自分が心底、やって良かったと感じるのは、圧倒的にウーバーイーツの方だったです。
・食のバイトは、人間関係が最悪、どんなに頑張っても給料が一定
・ウーバーイーツは、人間関係は気にしなくていい、頑張れば頑張るだけ給料が増える
ただ、ウーバーイーツは、ヤフコメ民などから、とてつもない叩かれ方をしています。
あんなものは社会の害悪だ、衛生的に最悪だ、使う人の気が知れない、自分は絶対に使わない…。
でも実際に働いてみたり、利用している人を見ると、まったくそんなことはありません。
どうしてあんなにも執拗に叩くのか、わたしにはまったく理解ができなったりするのです。
食に関わるバイトは典型的な古い産業で、仕事の仕方が昭和の時代から変わっていません。
人間関係もあまり良好とは言えず、怒鳴り声がかなり頻繁にとどろいていました。
一方でウーバーイーツは、最先端の働き方で、自由を最大限に享受できる仕組みです。
仕事に波があるというデメリットはありましたが、総じて食のバイトよりも稼げました。
わたしの個人的な経験から言えることは、少し乱暴にはなりますが以下のようなことです。
・古い産業には大人が多く、旧来のやり方をまったく変えていない
・新しい産業には若者が多く、時代に合わせてやり方を変えている
ここで言いたいのは、古いものがすべてダメ、などといったことではありません。
古いものにも良いものは多いし、良識のある大人が引っ張ってくれていることも多いです。
でも世の中のあらゆるところで、以下のようなことが実際に起きているのは事実です。
・古い産業は常に人減らしを行っていて、リストラや人員整理などが非常に活発です。
・新しい産業は常に人が足りておらず、人員を募集しているといった状況です。
若者と大人のどちらが正しいのか、最初はそういった話を展開していたのですが、いつの間にか、働く場所とか、産業比較論、みたいな話になってしまいました…。
でも、それくらい、働く場所というのは、ものすごく大事なことのように感じるのです。
古い産業には大人がたくさんいて、いままでのやり方を変えらないところも多いです。
なかなかうまくいかないから、それを若者に当たっている、そんな側面もあります。
新しい産業には若者がたくさんいて、時代に合わせたやり方で柔軟に対応しています。
不安定な感じも否めませんが、スピード感を持って、取り組んでいたりするのです。
若者とか大人という話ではなく、どこに身をおくかが大事、なのかもしれません。
時代を生きている若者の感覚から学べること
いまの日本は人口分布的に言うと、圧倒的に大人の方が多いというのが実態です。
選挙でいくら若者が熱心に投票しても、数の上では絶対に大人に勝つことはできない。
どんな職場に行っても圧倒的に多いのは若者よりも大人、それが紛れもない事実です。
ある意味では若者はマイノリティであり、世の中の少数派、なのかもしれません。
でも一方でそれは、稀少性という意味で、武器にすることだってできると思います。
若者の意見を欲している大人は多く、必要以上にありがたがる人もいたりします。
大人と若者を対立構造にするのは簡単ですが、それは単に議論がしやすいというだけです。
両者の良い部分を活かし協業して取り組んでいく、というのが本来の筋だったりします。
大人側の意見には、経験に基づく確かな論理、人生経験から来る強い説得力があります。
でも、それを過信しすぎてしまうと、若者の意見を取り入れられなくなってしまうのです。
昔からずっと続いているものを伝統と言って尊ぶことは、ものすごく大事だと思います。
でも同時に、新しいことを柔軟に取り入れる、その度量の深さも同じくらい大事です。
若者の時代に合った鋭い感覚は、大人が忘れてしまったこと呼び戻してくれます。
異なる意見をしっかりと尊重しながら、自身の考えをしっかりアップデートしていく…。
自分が歳を重ねれば重ねるほど、よりいっそう肝に命じる必要があると思います。
若者と敵対するのではなく、若者の見本となれる大人…、そうありたいと思ったりします。
なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが、そんなことを感じるのです。