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自己実現

【書評】ダウンシフトする生き方は新たな価値を創造しているのか?

ダウンシフトする生き方は、賛同することが多いですが、一方で疑問を感じることもあります。

わたし自身、仕事を辞めるときに、高坂勝さんが書いた『減速して自由に生きる』を何度も繰り返し読みました。

自分の信じた道を突き進んでいく様子を見て、気持ちがラクになったことを覚えています。

しかし以下の2つは、明確に分けて考える必要があると思います。

・個人の活動範囲内で実践すること

・社会に当てはめて世の中に啓蒙していくこと

髙坂勝さんの著作を読んで感じたのは、この部分を混同しているように思います。

1作目はとても素晴らしい作品だったのに、2作目は読むに耐えない内容だったのです。

個人で実践する分には良いけれど、社会に当てはめるのは違う…、そんな風に感じました。

結局のところ、既存の価値観の否定に留まっていて、新たな価値を生み出せていないのではないでしょうか?

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『減速して自由に生きる』から学んだこと

ダウンシフターズという考え方は、会社員をしていたわたしには、すごく新鮮に映りました。

わたしは仕事を辞めるときに、繰り返し何度もこの本を読みました。

既存の価値観に抵抗しながらも、自分の道を進んでいこうとする、信念と葛藤の気持ちが、仕事を辞めるわたしと重なりました。

仕事に悩んでいる人、自分の生き方に疑問を持っている人、さまざまな人に寄り添う、とても素晴らしい著作だと思います。

わたし自身、この本に随分と救われて、出会ったことに感謝したいと思える本なのです。

仕事がつらいときはダウンシフトする!

高坂勝さんは百貨店の社員として勤めていて、順風満帆に歩んでいました。

わたしも前職が百貨店の社員だったので、一つ一つのエピソードに親近感を持ちました。

仕事がつらくて辞めたいけれど、これからどうしていけば良いのか?

さまざまな苦悩が綴られていて、その様子を自分自身と重ね合わせたりしていました。

 

わたしと似た境遇の人がいて、自分より一歩早く飛び出した人がいると知り、すごく勇気をもらうことができました。

高坂さんはその後、池袋の片隅で小さな店を持ち、自分のペースでゆったりと営業します。

そんな生活をしている様子が、心底うらやましく感じたりもしました。

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ダウンシフトは既存価値の否定なのか?

高坂勝さんにはすごく期待していたのですが、2作目を読んで完全に見方が変わりました。

『次の時代を先に生きる』は、わたしが期待していた内容とは、ほど遠いものでした。

経済成長を否定したり、お金持ちを非難したり、やや過激な内容となっています。

過激な理念によって突き動かされている、活動家による啓蒙書みたいな本です。

 

ものすごく簡単に言ってしまえば、田舎で自給自足暮らしを勧める本です。

経済最優先の世の中に疑問を投げかけて、次代の新たな生き方を提示しています。

既存の物事の否定は良いのですが、それに代わる新たな価値を示せていないように思います。

大切にしようとしているものが、ものすごく抽象的で曖昧なものなのです。

資本主義に対するわたしの考え

わたしにとって『減速して自由に生きる』は、バイブルにしたいほどの素晴らしい本でした。

2作目『次の時代を先に生きる』に関しては、まったく共感することができませんでした。

なぜこんな過激思想に走ってしまうのか?そんな疑問を感じずにはいられません。

 

わたしは経済最優先の世の中に対して、決して良いと感じたりはしません。

お金がすべてのような価値観に人々が疲れていて、ひずみが生じているのは確かです。

ただし、著者の取り組みを手放しに賛同することはできません。

世捨て人のような発想で既存の物事をことごとく否定し、自ら選んだ不自由な暮らしを、無理矢理正当化しているように感じました。

田舎暮らしのスロー生活が過度に美化されていて、わたしにはついていけません。

どんな生き方をするのも個人の勝手ですが、それが思想になって啓蒙し、次々に伝播していく様子が、とても怖いと感じたりするのです。

高坂勝さんの発言と、口コミについて

高坂さんは著作の中でこんなことを問いかけています。

「プロ野球選手が何億もの年俸を稼いでいて、人間としての価値が何倍もあるのか?」

しかし、プロ野球選手の価値を計る手段として、お金以外に他に何かあるのでしょうか?

専門家の視点からすれば、いろいろと説明することはできるかもしれません。

カーブのキレがすごいとか、豪速球が投げられるとか、詳細な解説をすることができます。

ただ、誰もが明確に分かる価値の尺度は何かと考えたときに、結局はお金でしか計ることはできないのではないでしょうか?

 

わたしにはこの本の良さがさっぱり理解できませんでした。

ところがこの作品は、アマゾンの口コミで、大変な高評価であふれているのです。

さらにツイッターの口コミにも、これらを称賛する声があります。

ダウンシフターズは、いまのところ既存の価値の否定しかできていないと思います。

その先に何か新しい価値があるのかと言うと、何も示せていません。

このままでは文句だけ言って対案を示さない、野党の政治家と同じです。

 

個人が減速するのは良いですが、みんなが一斉に減速を始めたときに、その先に何が待っているのでしょうか?

わたしにはどうしても、幸せな未来があるとは思えず、待っているのは圧倒的不幸だと思います。

社会の発展を望まず、むしろ逆行するような立ち振舞いは、停滞を招く可能性が十分に高いです。

そしてそれが叶って喜ぶのは、混乱を待ち望んでいる一部の過激な人だけなのです。

 

社会の発展を捨てた先に待っているのは、貧困化、後進国化、ではないでしょうか?

日本がますます凋落していき、やがて世界から見向きもされなくなっていきます。

もしかしたら中国の圧倒的な軍事力によって、領土を奪われるかもしれません。

ダウンシフトを個人で実践するのは良いですが、社会全体に当てはめるのはまったく違うように感じます。

問題提起としては大変素晴らしい本ですが、残念ながら共感することはできませんでした。

 

スローライフやビーガンといったものも、似たようなものを感じたりします。

それ自体は、大変素晴らしい取り組みだと思いますが、あくまで個人でやるべきことではないでしょうか?

周囲に啓蒙して仲間を集め、やがて既存のものを攻撃して否定をし始める…。

考え方は人それぞれ自由ですが、やがて過激化していく様子が、すごく怖いと感じたりするのです。

お金の持つ意味について

高坂勝さんは、お金をたくさん持っていても意味がない、と言った趣旨のことを繰り返し主張しています。

わたしは「お金がすべてではない」といった主張に対して思うのは、お金の力を軽視しすぎだということです。

お金が無くても豊かに暮らしていける、というのは、個人には当てはまることかもしれません。

ただ社会全体に当てはめていくと、その主張は単なるきれい事に過ぎません。

お金があれば多くの力を手にすることができるし、お金によって解決できることはたくさんあるのです。

 

お金がモノを言うなんていうのは、国際情勢を例に取っても明らかです。

中国がこれほどまでにニュースとして取り上げられるようになったのは、急激な経済成長によって、経済大国に登り詰めたからです。

いまから10年~20年前は、中国がこんなにもニュースになることはありませんでした。

その中国に日本はどのように付き合っていけば良いのでしょうか?

日本は隣国に巨大な独裁国家があるという危機感を、もっと持たなければならないと思います。

 

スローライフやダウンシフターズという考え方は、ある面でとても賛同するところが多いです。

ただし厳しい見方をすれば、ダウンシフターズはいろいろと理屈をこねて、ただ逃げているだけのようにも映ったりします。

人里離れた田舎に引きこもり、お金に頼らずに自給自足の生活を送るというのは、決して否定するものではありません。

もちろん世の中がつらいのであれば、逃げるという選択肢があってもいいと思います。

ただし忘れてはいけないのは、わたしたちは資本主義の世界に生きているということです。

資本主義の世界で生きている以上は、競争が基本原理なのです。

 

ダウンシフターズという生き方は、いろいろと考えるきっかけを与えてくれます。

わたし自身、賛同しないけど、考え方の1つとしてあっても良いと思うのです。

ダウンシフターズという考え方を突き詰めていくと、結局は資本市議との対立にぶち当たるような気がします。

個人の主義や信条は人それぞれなので、決して糾弾するものではありません。

ただその考え方を国や社会に当てはめて、生き方をなぞらえるのは、わたしはどうも違うような気がして仕方がないのです。

減速することも大事だけど、わたしはもっと成長することを望んでいます。

個人としても国としても、そんな姿勢でありたいと思っているのです。

『減速して自由に生きる』の新しい生き方について、興味のある方は読んでみて下さい。