世の中にはひどい暴言を吐く人がたくさんいて、それによって傷つくことは多いです。
わたしはかねてから、以下の言葉を聞いて、ずっとモヤモヤした気持ちがありました。
言わんとしていることはすごく理解できるし、わたしもそう感じたことはあります。
文章なんて誰にでも書ける!そう言ってしまえば、それは決して間違いではありません。
ライターなんて誰でも名乗ることができて、実力もピンキリという世界です。
でもこういう言葉には、リスペクトの気持ちに欠けているのではないでしょうか?
ライターを広義の意味で捉えたときに、以下の人たちはみんなライターなのです。
・小説家
・評論家
・コピーライター
・シナリオ作成者
・広告作成者
素晴らしい文章が書けるというのは、商売として十分に成り立たせることができます。
これらを目標にして頑張っている人に対して、決して非難すべきことではありません。
でもこれには、そう言われても仕方のない部分、そんな側面もあるように思います。
文章は誰にでも書けるから、ついみんな、自分もできる!そんな風に感じてしまう。
これは、声優の仕事がしたいと人が殺到する、そういう構造に似ているのかもしれません。
手を上げれば誰でも参加する権利があって、みんな自分もできると勘違いしてしまう…。
みんなができるというのは、その分、とてつもない競争が繰り広げられているのですが…。
トップの人たちの凄さに憧れつつも、中途半端にくすぶっている人たちもまた多い…。
そういった状況に対して、冷水を浴びせる最適な言葉が、単に〇〇なだけ!なのかもしれません。
見方によっては覚悟の度合いを試している…、そんな風に捉えることもできるのです。
本記事では、ほかのさまざまな職業を当てはめてみて、考察してみたいと思います。
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職業を当てはめると世間の見方が見えてくる
冒頭ではライターに関する言葉を使って、それが意味することを考えてきました。
これはライターのみならず、さまざまな職種に当てはめて考えることができます。
最初に、こんな言い方は絶対にしない!という事例を挙げて、考察してみたいと思います。
・プロの料理人に対して「料理なんて誰でも作れるでしょ!」
・プロ野球選手に対して「単に野球がうまいだけでしょ!」
・プロの弁護士に対して「単に法律に詳しいだけでしょ!」
こんなこと言う人はまずいないし、失礼にもほどがある!と思う人がほとんどです。
みんなが尊敬しているもの、目に見えて分かるもの、世の中の評価が定まったもの…。
きちんとコンセンサスが取れているものには、誰も噛み付いたりしません。
でも、これが新しいものとか、怪しいものになると、かなり様子が変わってきます。
・プロゲーマーに対して「単にゲームがうまいだけでしょ!」
・SNSで儲けた人に対して「単にSNSの使い方がうまいだけでしょ!」
・仮想通貨で儲けた人に対して「単に運が良かっただけでしょ!」
これらの言説に関しては、そうだ!と感じる人は、かなり多いのではないでしょうか?
言葉として発することはなくても、心の底でそう思う人は、たくさんいるように思います。
同じようなことを言っているのに、職業を変えると思わず同意したくなってくる…。
でも、こんな風に、心ない一言を言われることで、傷ついている人も多いのではないでしょうか?
職業のみならず男女に関することでも、さまざまなことが言われていたりします。
家庭のことへの理解に乏しい男性は、こんなことを考えている人もいるかもしれません。
・主婦をしている女性に向かって「家事なんて誰でもできるでしょ!」
もし、こんなことを言おうものなら、とてつもない修羅場となりそうですが…。
さまざまな事例から導き出せるのは、以下のようなことになります。
相手の努力を矮小化しているのが透けて見えて、気持ちの良いものではありません。
思っていても発するのはNG!本音と建前を使い分けろ!ということなのだと思います。
物事の見方を広げる意味において批判は大事
単に〇〇だけでしょ!という言葉には、努力をすべて無にするような虚しさだけが残ります。
この言葉を発する一番の理由としては、冷水を浴びせる意味合いなのでしょう。
それはものすごく有効だと思う反面、いままで本気でやってきた人はひどく傷つくのです。
批判するときの言葉の強さとしては、おそらく最上級なのではないでしょうか?
頑張って取り組んできたことに対して、たった一言ですべて無にしてしまう…。
まるでデス宣告を受けたかのような、非常に重い気持ちになってしまうのです。
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批判には軌道修正の意味合いがある
ただし、批判はすべてダメなもの!として捉えるのも、また違うように思います。
批判がきちんと機能しなければ、世の中はめちゃくちゃになってしまいます。
みんなやりたい放題やり、すべてやったもん勝ち!もしそんな風になってしまったら…。
とてつもなく生きづらい世の中になってしまう…、そんな心配が芽生えてくるのです。
物事を正しい道へと軌道修正する…、そういった意味で批判はすごく大事なことです。
ものすごく強い言葉を浴びせるというのも、ときには必要なことではないでしょうか?
単に〇〇だけでしょ!と言うことが、本当に必要かどうかまでは分かりませんが…。
世の中はそうやって極論をぶつけることで、バランスを取っているのかもしれません。
強さに依存した批判は意味がない
ただし、単に〇〇だけでしょ!というのは、すごく強い言葉で怖い一面もあります。
それが間違った方向へ進んでいくと、刹那的な方向へと向かったりもするのです。
・生きていると言っても単に空気を吸っているだけでしょ!
もし上記のようなことを言い出したら、もう完全に末期状態と言わざるを得ません。
批判も大事だけど使い方を間違えてしまったら、大変なことになってしまいます。
強い言葉にはそれだけヤバさも備わっているので、注意が必要なのだと思います。
批判を励みにして取り組んでいく
ただし、単に〇〇でしょ!と批判する人は、それほど深く考えてはいません。
聞いた側は深く傷いてしまう言葉ですが、発した側はおそらく次の日には忘れています。
こんなことには取り合わずに、好き勝手にやれば良いのではないでしょうか?
・ライターなんて単に文章を書いているだけでしょ
いくらこんなことを言われても、書きたい人は放っておいても書いてしまいます。
そうやって積み重ねていくうちに、どんどんうまくなってやがて職業にしていく…。
職業として活動している人に対しては、誰もこんなひどい言葉をぶつけません。
その代わり、プロとしての評価を下されるので、これはこれでまた大変です…。
中途半端なポジションにいるからこそ、言われてしまう一言なのだと思います。
叩く人がいるのであればもっと突き出ていく…、それが最善なのではないでしょうか?