政治・経済

「官僚の天下り」受け入れる側のメリットはどんなものがあるのか?

官僚の世界には必ず天下りがあります。

ポスト競争に破れた人たちのお膳立てをして、役職まで斡旋するのは、考えてみればすごい制度だと思います。

国の元で働いて出世を果たせなかった人への救済策、と言っていいでしょう。

双方が条件に納得すれば、良好な関係を果たすことができます。

 

しかし当事者同士は良くても、誰かがマイナスを被ることは必至です。

ポスト競争でくすぶっていた人が、新しいところに行って何もかもうまくやるなんてことは、普通に考えたらあり得ないことです。

実際、天下りしてきた官僚が会社のお荷物になっている、といった事例はよく耳にします。

勝手の分からない場所にやってきて、うまく立ち振る舞える方がまれだと思います。

 

天下りをする意図は、相手先と良好な関係を築く、言わば大人の事情です。

自営業者からしてみれば、自分の力で稼げばいいのに、と思ったりします。

天下り人材を手厚くもてなすことに、果たして意味はあるのか?わたしには分かりません。

天下りによる大人の事情によって、円滑に回っている部分もあるとは思いますが、癒着や利権の温床になっている可能性の方が、圧倒的に高いでしょう。

 

わたしはそもそも、天下りを受け入れる側のメリットがよく分かりませんでした。

天下りをする側と受け入れる側、双方にメリットがあるからこそ、さまざまなところで行われているのだと思うのです。

天下りをする側はまだしも、受け入れる側にどんなメリットがあるのでしょうか?

気になったので調べてみることにしました。

天下りをする双方のメリットとは?

天下りについてはネットで調べてみると、いろいろと出てきます。

下記の記事によると、官僚の天下り先としてもっとも多いのは、保険業界です。

 

週刊現代の記事はこちら

 

保険会社が役人の天下りを積極的受け入れる理由として、以下の2つを挙げています。

役所の情報を集めるため

何かあったときに手心を加えてもらう下心

保険は認可商品です。監督官庁の認可が下りやすくするために何が必要なのか、その情報収集をすることを目的に天下りを受け入れているのです。

 

また、保険は営業の仕方を保険業法で細かく規定されていますが、グレーの部分が割とあって、行政処分を食らうか、指導だけで終わるのか、瀬戸際に立たされたときに、天下りの顧問を通じて処分を軽くしてもらう、などがあります。

要は、役所のルールに従わなければならない事例に対し、天下りした人たちに便宜を図ってもらうため、天下りを受け入れているのです。

 

現場の人間がダメと言っても、先輩OBがあいだに入って何か言えば、様子は変わるかも知れません。

天下りにはこういった大人の事情があるのか、とひどく納得しました。

 

ほかにも記事には、さまざまな天下り事例が紹介されています。

日本テレビ、読売新聞、三井不動産、三菱マテリアル、三井物産、みずほ銀行など、日本の名だたる大手企業は、みんな天下りを受け入れています。

 

大手企業が天下り官僚に便宜を図って、代わりに自身の要求を陳情する。

大人の世界というのは、得てしてこういったつながりが非常に多いのです。

大企業優遇というのは、こうしたことから生まれてくるのだと思います。

ただでさえ資本力があって世の中に対して大きな影響力を誇っているのに、さらに裏でがっちりと手を組んでいたりするのです。

 

純粋な競争の末の結果ならまだしも、この実態には少し疑問を感じたりもします。

大手企業の信頼とは果たして何なのか?と考えさせられてしまうのです。

 

おそらくグーグルやアップル、フェイスブックなど、いまをときめくIT企業も、こういったことは当たり前のように行っているのでしょう。

トヨタやソフトバンクは、法人税をあまり払っていない、なんてニュースが流れることがありますが、もしかしたらこういったことが影響しているのかもしれません。

税金のルールを決める側の人や、法律の抜け穴を熟知している人がいれば、十分に可能です。

大企業はこういったところにも、多くのお金をかけているのだと思います。

独立した生き方を模索する

わたしは、会社に情けをかけてもらう生き方に、とても疑問を感じます。

天下りをするくらいなら、独立して自分で稼ぐ方を選ぶと思います。

有名大学に進学し、官僚になれるほどの頭脳があるのなら、能力的に劣っているなんてことはあり得ません。

実際に、官僚出身の政治家や起業家など、活躍している人は山のようにいます。

もっともこれは個人のメンタリティなので、とやかく言うことではありません。

不本意ながらもこうした生き方しかできなかった、と唇を噛み締めているのかもしれません。

 

ある時期に「上級国民」という言葉が話題になりましたが、日本には特権階級が確実に存在しています。

実績を残した人ならいざ知らず、彼らが見えない何かに守られているのは、違和感を感じざるを得ません。

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」

かつて福沢諭吉は「学問のすすめ」の中でこう綴っていますが、そんなのはきれいごとなのかもしれません。

平等を保つためにルールが設定されているのですが、ルールを作る側に回ってしまえば、大人の都合でいくらでも解釈ができてしまうのだな、と感じたりするのです。

 

日本では、出る杭は打たれる、とか、チャレンジャーに厳しい、みたいなことが言われます。

若者が何かを成し遂げようと思うと、とても厳しい逆風が待っているのです。

普通に挑戦するだけでも大変なのに、天下りに見られるような、既得権益のさらなる強化が行われています。

原子力発電とか、NHKや民放各社のような電波事業者など、古くからある企業というのは、そういったことがごく普通に行われていて、利権と化しているのだと思うのです。

大人の世界というのは、とても怖いものだと改めて思います。

1人で何もかもやっていくのは大変だけど、組織のルールや人事に縛られるくらいなら、挑戦して自分の好きなように生きていきたい、わたしはそんなことを考えたりするのです。