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自己実現

何者にもなれなかったわたしが思う、それでも世の中が楽しい理由!

大人になったらビックになりたい…、何か大きな仕事を成し遂げたい…。

ずっとそんなことを考えながら、何かが達成できることを夢見ていました。

やま
やま
黒澤明監督の映画『生きる』が好きで、開始5分で号泣してしまいます。

何者かになりたい…、多くの人はそんな風に考えているのではないでしょうか?

ところが残念ながら、それを叶えられる人というのは、ごくわずかしかいません。

やま
やま
わたしも何者にもなれなかった人間の1人です。
ねこ
ねこ
オレには悩みなんか1つもないんだぜぃ~。

何者かになりたいと思っているけれど、やがて現実に直面して夢が潰えてしまう…。

夢を叶えられなかったことが心残りで、ことあるごとに後悔の念に苛まれる…。

そうやって悩んでいる人も、少なからずいるのではないでしょうか?

やま
やま
夢を叶えるというのは、本当に大変だと思います。

わたしもある時期まで、何者かになりたいとずっと思って生きてきました。

いまは考え方が大きく変わって、毎日を楽しく過ごすことができています。

やま
やま
自分のことを客観視するようになって、悩むことはほぼ無くなりました。

何者にもなれないと悩む人が、安定した心を持つための考え方を見ていきます。

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何者かになる必要なんてない

何者かになりたいとは思っているけれど、何者にもなることができない…。

多くの人は、理想と現実とのギャップに、落胆してしまうことが多かったりします。

やま
やま
わたしもちっぽけな自分に嫌気が差してしまうことが多いです。
ねこ
ねこ
おれは悩むことなんてないんだぜぃ~。

影響力のある有名人や、ものすごい才能を前に、自分がちっぽけに映ってしまう…。

自分もそうなれるように必死に頑張ったけれど、まったく追いつくことができない…。

完膚なきまでに打ちのめされる瞬間というのは、誰もが一度や二度はあると思います。

やま
やま
わたしも競争をして、一番になった試しがありません。
ねこ
ねこ
おれは競争なんて無縁なんだぜぃ~。

そもそも何者かになろうとしても、実際にそれが叶うことはほとんどありません。

たいていの人は夢を叶えることができず、しまいにあきらめてしまいます。

 

ただ、表舞台に立っているキラキラした人が、すべて勝ちなんてことはありません。

それを支える人、叱咤する人、パートナー、師弟、家族、友人、好敵手…。

人にはいろんな役割があるので、自分のポジションを見つけるのが大事だと思います。

やま
やま
成功者は意外と別の悩みを抱えていたりもします。

何者にもならなくていいと思った瞬間について

わたしの場合、安定した気持ちが持てたのは、考え方を根本から変えたときです。

 

若い頃は、努力は報われてしかるべきだ、みたいな考え方をしていました。

これだけ努力したのだから、これくらいの見返りがあって当然だ

決して口に出すことはありませんが、心の底ではそんな風に思っていました。

 

でもどんなに頑張っても上には上がいて、決して自分が一番になることはできない…。

ずっと上を目指して頑張っていましたが、一方で頑張ることに疲れていました。

 

いま考えてみると、努力と引き換えに成果を求めすぎていた、そんな風に思います。

 

結果を残したければ努力するなんていうのは、言うまでもなく当たり前のことです。

そもそもどんな成功者も、裏ではとてつもない努力を重ねていることが多いです。

 

努力というのは結局のところ、本人のエゴでしかない、という風に思います。

努力は自分の成長に繋がるのだから、やって当たり前のことなのです。

 

わたしは考え方を改めて、以下のことを肝に命じるようになりました。

努力の見返りを求めない

ただでさえ不器用で歩みの遅い人間なのに、努力すれば成果が出る!なんて虫が良すぎです。

わたしは自分の考えを改めて、努力に対し過剰に期待をすることを辞めました。

 

わたしはいまも人並みに努力はしていますが、それはあくまでおまじない程度に考えています。

結果、周りと比較することがなくなり、マイペースで生きられるようになって、帰って良い結果が出るようになりました。

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若い人が陥りがちな頑張りすぎについて

若い人の中には、頑張りすぎて苦しんでいる人がとても多いように感じたりします。

「努力教」という目に見えない宗教、「頑張れ地獄」という途方もないプレッシャー…。

やま
やま
わたしもかつては「頑張れ地獄」に陥っていました。
ねこ
ねこ
オレなんて頑張った試しは一度もないけどな~。

頑張るのも頑張らないのもすべて自由で、どうあるべきということはありません。

頑張らないのも立派な戦略だし、頑張らない方が良い結果に繋がることもあります。

 

長い人生においては、何を頑張るかよりも、何を頑張らないかの方が大事だと思います。

限られたリソースの中で、最大限の効果を出すためには、的を絞らなければなりません。

やま
やま
頑張って結果が出ないなら、他の方法を模索するのが良いと思います。

頑張りすぎに歯止めをかける3つの心得について

若いときは何者かになろうとして、過剰に頑張ってしまう人も多いのではないでしょうか?

ここでは頑張りすぎに歯止めをかける、3つの心得について見ていきます。

完璧を目指さない

何者かになろうとして、つい頑張りすぎてしまうことは多いように思います。

頑張っても頑張らなくても、それほど大きく結果が変わることはありません。

完璧さを求めてみたところで、それはちっぽけな自己満足の可能性もあります。

自然体でラクに生きていく…、というのが何よりも一番だと思います。

他人と比べない

他人と比べてみたところで、心に芽生えるのは、小さな嫉妬心だけです。

競争は使い方によって、毒にも薬にもなってしまったりします。

人と比べてどうかではなく、自分がどうしたいのかの方が、はるかに大切です。

ナンバーワンではなくオンリーワンを目指していくのが良いと思います。

小さな親切を心がける

何者かになろうと、自分にしか関心が向いていない人はとても多いと思います。

周囲に気を配るということを、疎かにしていないでしょうか?

誰もが自分のことを認めて欲しいので、相手にそれをやるとすごく喜ばれます。

親切の積み重ねによって、相手との信頼関係が生まれてくるのです。

映画『アマデウス』に学ぶ嫉妬について

映画『アマデウス』というのは、わたしの大好きな映画の1つです。

宮廷音楽家のサリエリが、モーツァルトの圧倒的な才能を前に激しく嫉妬します。

でも冷静に考えてみれば、サリエリも十分に成功を収めている、ものすごい音楽家です。

自分が与えられた地位に感謝し、謙虚に振る舞っていれば、話の展開は変わっていたかもしれません。

 

人は誰もがナンバーワンになりたい性ですが、二番手や三番手にもそれなりに役割があると思います。

後進の育成とか子どもに夢を託すとか…、考え方によってさまざまな生き方があるのです。

誰かのサポートをする人生は素晴らしい

何者にもなれないというのは…、誰もが抱えている深い悩みなのかもしれません。

ただしそれほど深刻な問題ではなく、結局は、本人のエゴなのだと思います。

 

たとえ夢が叶わなかったとしても、ゼロかイチか、ということはありません。

挑戦してきたことは自分の中に残り、きっと何かに役立てることができます。

 

自分が歩んできた道に誇りを持ち、次を見据えて未来へと突き進んでいく…。

夢や希望に向かって走っている人を、近くで応援するだけでも励みになります。

 

注目される人になるのではなく、自分が良いと思ったものを応援していく…。

誰かのサポートをする人生は、十分に素晴らしいように思います。

夢や希望よりも居心地の良さを追求する

わたしの場合、考え方を根本から変えることで、悩むことはなくなりました。

自分のちっぽけさに悲しくなることはありますが、以前よりはずっと心が揺れることはなくなりました。

もっともこれに対するもっとも大きな理由は…、歳を重ねたせい、なのかもしれません。

 

何者にもなれないというのは、それほど悲観すべきことではないと思います。

主役ばかりが輝くドラマが、面白いなんてことはまずありません。

悪役、恋敵、脇役、エキストラ…、いろんな人がいてドラマは成り立っています。

 

スポットの当たる主役を目指すのではなく、自分が輝ける場所を探していく…。

あるいは、頑張っている人を陰で支えるという役に徹していく…。

 

そうやって繰り返していくうちに、何者でもない人は、やがて必要とされる人になっていくように思います。