ジッタリンジン

【考察】ジッタリンジンの音楽が次に引き継がれる可能性について

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ジッタリンジンの音楽は、いっときの流行や90年代に活躍したバンド、という枠組みで終わらせて良いものではありません。

これから先も、わたしたちをずっと魅了し続けていく、唯一無二の音楽だと思います。

爆発的な人気にはならないとしても、ファンの間で細く長く引き継がれていく…。

わたしはジッタリンジンのファンとして、その役割を感じたりしています。

 

爆発的な人気によって知名度を得たとしても、それが長く続くかどうかは分かりません。

逆にそれほど多くの人には知られていないけれど、深く胸を打つものはたくさんあります。

中島みゆきさんの『糸』は、発表当時はそれほどのセールスではありませんでした。

しかし2020年代に入っても、世代を超えて愛される稀代の名曲となっています。

 

売れるとか売れないというのは、あくまでそのときの情勢でしかありません。

ストーン・ローゼズのファーストアルバムは、全英アルバムチャート最高32位でした。

しかしロックミュージックの金字塔として、圧倒的な地位を誇っています。

かれこれ30年以上も前のアルバムにも関わらず、いまも若者を魅了し続けています。

 

ジッタリンジンの音楽は、絶対に次の時代にも残すべきだ!と、心からそう思える、珠玉の名曲なのです。

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どんなものにも必ず賞味期限は来る

古典と呼ばれるものは、特別枠でずっと安泰の場所にいる…、わけではありません。

新しいものたちと常に現役で戦っていて、真正面から面白さの勝負に挑んでいます。

古典だとしても作品に魅了されて語ろうとする人がいなければ、やがて廃れてしまいます。

古めかしいだけで作品として価値がないものは、その時点で途絶えてしまうのです。

 

古典は特別枠の絶対的地位にあるものではなく、必ず賞味期限があります。

30年生き延びる作品があれば、100年生き延びる作品もある。

何とかして生き永らえるためには、多くの人に喧伝してもらう必要があります。

たとえほとんどの人に響かなかったとしても、1人に深く刺されば広めてくれたりするのです。

次の世代に引き継いでいくということ

フィッツジェラルドは、アメリカ文学の古典としてすでに高い地位にありました。

村上春樹さんが積極的に喧伝することで、その評価はますます上がっていくことになりました。

日本を代表する作家が大きな評価をすれば、それについてくる人はたくさん出てきます。

クラシック音楽のヤナーチェックが見直されるなど、必ずムーブメントが起きるのです。

 

有名人が発信を行うことによって、世の中に広く拡散していきます。

ただし有名でないからと言って、声を挙げないのは最良の選択ではありません。

本当に重要なのは、有名無名に関わらず「熱意」とか「想い」の方が、はるかに大きいのではないでしょうか?

古典として生き残るのは、広く知られることよりも、深く刺さる人のバトンリレーなのです。

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ジッタリンジンの音楽は深く刺さる!

ジッタリンジンの音楽は、深く刺さった人たちによって熱く支持されています。

ファンはいまでも復活を待ち望んでいて、その熱意は非常に濃いものがあります。

わたしもそのうちの1人で、いまもずっとジッタリンジンを聴き続けています。

ジッタリンジンのことを知れば知るほど、ますます深い沼へとハマっていきます。

 

ジッタリンジンは高い音楽性とは裏腹に、多くの人に知られているとは言えません。

ファンの間だけ知られている音楽に留めるのは、あまりにもったいないと思います。

『青いカナリア』や『自転車』といった名曲を、もっと多くの人に知って欲しい…。

ジッタリンジンを次の世代に引き継いでいくためにも、ファンとして声を挙げ続けていく必要性を感じています。

 

数十年前に作られた音楽なので、当然、現代の音楽とはかなり様子が違います。

ただし古めかしいというよりは、懐かしさのようなものが非常に大きいと思います。

90年代の恋愛ドラマは、2020年代に見ても驚くほど新鮮で、まったく古びていません。

ジッタリンジンの音楽も、数十年経っても寂れることはない、至高の音楽だと思うのです。

マスに訴えるのではなく的確に発信する

現代はほぼ無限と言っていいほど、趣味の多様性が認められている時代です。

エンタメ業界は完全にパイの奪い合い、ゼロサムゲームと化しているのが実態です。

さまざまな選択肢がある中でも、突き抜けたヒットを飛ばすものが必ずあります。

逆にものすごく素晴らしい出来なのに、いまいち評価が得られないものもあるのです。

 

時代の荒波に揉まれて消耗してしまうのは、ある意味で仕方のないことかもしれません。

流行やブームに流されるというのは、瞬間的に打ち上げられた打ち上げ花火と同じです。

たとえ一発当てることができたとしても、その後に待っているのは…あまり良くない結果です。

本当に必要としている人はごく限られていて、その人たちに的確に届けていくことの方が大事なのだと思います。

 

どんな分野にも言えることですが、本当に刺さる人はごく一部の人だけです。

マスに訴えかけるのではなく、刺さる人に鋭く深くアプローチしていくことだと思います。

そうやって深く刺さった人が、また次に向けて発信をしていく…。

良いもの広げていくバトンリレーが形成されていくことにより、やがて評価が積み重なっていくのです。

ジッタリンジン応援団として感じること

わたしはジッタリンジンのファンとして、この一翼を担っていると感じています。

とは言っても決して重いものではなく、単純に良い音楽だから聴いて欲しいだけです。

ジッタリンジンの音楽を、もっと多くの人に知って欲しい…。

わたしがブログを書いている大きな理由は、このことにあるのだと思います。

 

わたしはこれまでにも、さまざまな音楽に触れて感動してきました。

ストーン・ローゼズとチャットモンチーは、ほかに代えがたい唯一無二の音楽です。

ジッタリンジンもまた、それ以上に大きな影響を与えてくれたアーティストです。

リアルタイムで聴けなかったため、いまになって過去にさかのぼって聴いています。

 

わたしは2020年代もおそらく、ジッタリンジンを聴き続けると思います。

そしてそのときに感じたことを、是非とも発信していきたいと考えています。

この発信によってジッタリンジンを聴く人が1人でも増えてくれれば、これに勝る喜びはありません。

小さなブログの発信ではありますが、長く広報活動を続けていきたいと考える所存です。

 

ジッタリンジンは、爆発的なヒットはあまり似合っていません。

これからも細く長く続いて欲しいというのが、ファンとしての率直な願いです。

「黄金の夜明け」を聴きながら、鼻歌交じりにスキップして歩んでいく…。

そんな軽やかなジッタリンジンが、どうしようもなく好きだったりするのです。