ジッタリンジンの音楽は、これから先も長く愛され続けていく…、そんな音楽だと思います。
爆発的な人気にはならないにしても、ファンの間で静かに育まれていく…。
そこには心を揺さぶる大きな感動があり、心の拠り所としていつでも暖かく迎え入れてくれる…。
ジッタリンジンの音楽には、世代を越えて愛される大きな魅力があるように思うのです。
爆発的な人気によって知名度を得たとしても、それが長く続くかどうかは分かりません。
逆にそれほど多くの人に知られていないけれど、長く愛され続けているものもあります。
中島みゆきさんの『糸』は、発表当時はそれほど大きなセールスではありませんでした。
しかし2020年代に入っても、多く人がカバーし、世代を越えて愛され続けているのです。
売れるとか売れないというのは、あくまでそのときの情勢でしかありません。
ストーン・ローゼズのファーストアルバムは、全英アルバムチャート最高32位でした。
しかしロックミュージックの金字塔として、いまも圧倒的な地位を誇っています。
かれこれ30年以上も前のアルバムにも関わらず、若者を魅了し続けているのです。
ジッタリンジンの音楽は、これからも長く引き継がれて欲しい!ファンしてはそんな風に思ったりしています。
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どんなものにも必ず賞味期限は来る
古典と呼ばれるものは、特別枠でずっと安泰の場所にいる…、わけではありません。
新しいものたちと常に現役で戦っていて、真正面から面白さの勝負に挑んでいます。
たとえ古典であっても、作品に魅了されて語ろうとする人がいなければ、やがて廃れてしまいます。
古めかしいだけで作品として価値がない!そうやって途絶えてしまうのです。
古典には必ず賞味期限があって、作品によって生きられる年数が異なってきます。
30年生き延びる作品があれば、100年生き延びる作品もあるし、1000年生き延びる作品もある…。
例えばクラシック音楽には400年の歴史があり、『源氏物語』には1000年の歴史があります。
長く引き継がれているものには、必ずそれなりの理由があるのだと思います。
次の世代に引き継いでいくことについて
フィッツジェラルドは、アメリカ文学の古典としてすでに高い地位にありました。
そこに村上春樹さんが積極的に喧伝することで、その評価はますます上がっていきました。
日本を代表する作家が評価すれば、それに目を向ける人はたくさん出てきます。
作品の価値が改めて見直され、そこからまた新たな発見が出てきたりするのです。
有名人や影響力のある人の発信は、世の中の多くの人に拡散することができます。
ただし本当に重要なのは、数よりも質とか熱意、だったりするのではないでしょうか?
より多くの人に知られることよりも、深く刺さった人たちによる心のバトンリレー…。
これらを伝えていくことの方が、はるかに大事なことなのだと思ったりします。
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ジッタリンジンの音楽は深く刺さる!
ジッタリンジンは高い音楽性とは裏腹に、多くの人に知られているとは言えません。
しかしジッタリンジンの音楽は、いまも熱いファンによって大きな支持を集めています。
『青いカナリア』や『自転車』といった名曲を、もっと多くの人に知って欲しい…。
ジッタリンジンがきちんと評価されるために、声を挙げ続けていく必要性を感じています。
ジッタリンジンは「ファンの間だけで知られている存在」で良いバンドではありません。
「90年~2000年代に活躍した奈良県出身のロックバンド」それ以上のものがあると思います。
「夏祭り」の原曲はジッタリンジンであること…、アンサーソングの「なつまつり」が存在していること…。
魅力を挙げていくとキリがありませんが…、ほかに変わるものがない素晴らしい音楽だと思います。
ジッタリンジン応援団として感じること
わたしはジッタリンジンのファンとして、これからも応援し続けていきます。
爆発的なヒットにはならなくても、ジッタリンジンの音楽が細く長く続いて欲しい!
「黄金の夜明け」を歌いながら、鼻歌交じりにスキップして歩んでいく…。
そんな軽やかなジッタリンジンが、どうしようもなく好きだったりするのです。